タルムードで紹介されている話はどれも分かりやすい例え話だ。それぞれの話から得られる教訓もシンプルだ。でもその教訓をどう身につけさせるのか、どう活かすのかというところが肝心だ
考えることを教える教育
ユダヤ人はタルムードを絵本のように読み聞かせ、そして問いかける。必ずしも正解がある訳ではない問いに考えて答えるように促す。回答に対してどうしてその回答に行き着いたのかをまた問いかける。「なぜ」「Why」の繰り返しだ。この対話が考える力を鍛え、タルムードの教えを身につけさせる肝になる。対話によって導くことになるので親の役割はとても重要だ
親の役割
大切なことは自分たちが子どもに教えるということで、この姿勢は見習う必要があるなぁと感じる。日本は学校教育に期待しすぎているのではないだろうか。学習指導要領も新しくなり、保護者や地域の関わりを強くして一緒に学ぶ輪に加わってほしいという思いを込めているが、根底には”一緒に”、”みんなで”という意識がある。ユダヤ人は”自分が”という一人称だ。この違いは大きい。どちらかの考え方が絶対ということはないが、違いは意識して見習うべきところは見習いたい
学校教育に求めること
学校教育では家庭の中だけでは学ぶことが難しい人間関係や社会性を学び、読み書きや計算などの基礎スキルを習得することができるといい。基礎スキルを習得したあとは、いろいろな考え方に触れて興味を引出し、長所を伸ばす場として機能するようになればいいなと思う
今自分が学んでいる世の中の仕組みやお金の授業はこの歳になってからでも役に立つと思えるので、もし学校教育の中に取入れることができれば、子どもたちの可能性も広がるのではないかと感じる。
期待するところはあるが、他者への期待は持たずに自分ができることをするのが第一歩だ
伝えられてきたこと これから伝えること
息子にも子どもの頃からタルムードにあるような形で体系的に考える力について教えることができていればと思う気持ちもあるが、自分が今読んでも得られるものがあるのだから、息子にも勧めてみたいと思う。大人になりかけている今、どんな思いを抱くだろうか。ユダヤ人に伝えられる教訓について話ができる機会があれば楽しいかもしれない
ひとこと
ヘブライ語で書かれたタルムードのみが「聖典」とみなされるとのこと。他の言語に翻訳されたものは誤訳の可能性があるからということだが、日本語で書かれたタルムードに関する解説の書籍を見ているとうなずけるものがある。得られる教訓は同じかもしれないが、細かい解釈やどう活かしていくのかというところには訳者の考えが入り込んでしまう余地があるから、書籍によって伝える内容が微妙に異なる
本質が少しでもブレてしまうと長い年月の後には誤った教えになってしまうリスクがある。そんなことまで見越して伝えられてきたユダヤ人の教えは深い。そう考えると数千年に及ぶ歴史の中で人間の本質は変らないんだなと感じる