🍖だより3年目253日目
最近、書くという行為をすることがほとんどなくなった
ペンを持つ機会も少ない
もっぱらスマホやPCのメモに置き換わっている
昔は手で書いていた日記も、PCにタイピングだ
今見てみれば手書きを止めてから12年になる
記録する手段が手書きか、タイピングか、という違いだけのようで、実はでずい分いろいろと変わるものがある
文字を残すという行為の手軽さが変わる
手書きのバラバラな文字列からきれいなフォントで整列した文字列へ統一感が変わる
書いたものを保存する空間がリアルな場所からバーチャルな場所に変わる
何かを調べたいときの便利さが変わる。データになっていると検索するのには実に都合がいい
でも、最も変わるのは読み返したときに伝わる感情だ
同じものを読んでも自分の手で書いたものとディスプレイに映し出された整然とした文字列では、伝わってくるもの、思い出されるものが違う
自分で書いたものを読み返すとき、書いてある内容以上に伝わってくるものがある
当時の気持ち、何を感じていたか、どんな思いをしていたのか、何を考えていたのか、確かに言外に伝わってくる何かがある
自分で書くことで伝わる(残される)何かが、統一された文字に整理されることで、情報から削ぎ落とされてしまうのかもしれない
その時の状態で書く文字は少しずつ違う
気持ちの揺れが文字に伝わる
同じ文字を書いても、手書きの文字は同じにはならない
形としては必ずどこかが異なっているだろう
人は自ら書くことでその時に心にある何かを残し、それを読んだ時にその何かを無意識に読み取る力があるのではないかと思う
これからの時代には忘れ去られていく力なのかもしれないけれど…
そんな力の究極が絵画などの芸術なのかもしれないな
思いを伝える術(すべ)、思いを読み取る術
そう考えれば音楽や体術(武道)なども同じだ
五感として備わっているのは人としての感情を伝える原始的なコミュニケーションツールなのかもしれない
時折書き残していたノートを読み返していて感じた思い
大切にしたいなぁ
一日はいいことから始めよう!