英語が話せますかと聞かれると自信を持って、話せます!とはなかなかいえない。国際結婚をしているし、英語をいつも使っていても、ちゃんと話せるかとい言われるとやはり首をかしげてしまう。
ただ、英語でコミュニケーションをとることができますかと聞かれれば、これにはYes!と言えそうだ。
思いが伝わればそれがコミュニケーション
どういうことかといえば、要するに自分の英語が文法や構文とかをあまり意識しない、かなりアバウトで、大雑把ということだ。
日本人は英語の読み書きはできても話せないというのはよく耳にすることではあるが、私もまさに典型だったのだと思う。
学校で習っているので読み書きはできても、いざ会話となるとちゃんとききとれないし、言いたいことが言えない。英会話学校に行ってみてもなかなか上達を感じることができないというような状態だった。
海外勤務の機会
そんな状態なのに海外研修生の制度で選ばれてアメリカに行くことになった。もちろん応募したからなのだが、なぜ英語もできないのに(当時は必要とされていたTOEICの点数もとれていなかった^^;)応募しかといえば、入社して5年目で、転機がほしかったから。
入社してしばらく経って、なんか会社の歯車の一つになっているんじゃないのかなぁと感じていた頃で、たまたま先輩が応募する準備をしているのを目にして私も応募してみようと軽い気持ちで応募した。その時はまさか選ばれるとは思っていなかったので。その少し前に始めて海外出張を経験して、漠然と海外で仕事をすることに興味を感じていたこともあり、まぁ応募したのは勢いだった。
運良く選抜されてアメリカ西海岸、カリフォルニアのまさにシリコンバレーの一角で働くことになった。
ローカル生活の実践
満足に英語もできなかったのだが、渡米の前は結構楽しみに準備をしていた。慎重派ではあるが、根はオプティミストでなんとかなるさと思っているからだろう。
現地に着いたら、その日からローカルでの生活の実践である。英語の生活の中に身を置くのが英語が一番身につくというのをまさに実感した生活が始まった。
最初に必要になったのは車だ。車社会なので車がないと生活ができない。レンタカーショップへ行き、車を長期でレンタルする。
移動手段が手に入ったら手に渡されたのは現地のいわゆる住宅情報雑誌だった。住むところを決めてきて、と最初からハードルが高い。良さそうな物件を見つけて、電話して、内覧のアポを取る。現地へ行って、中を見て、条件を確認して、というのを繰り返す。説明は何度も聞き返すし、片言の英語でなんとか聞きたいことを伝えるような状態で住居探しがしばらく続いた。
ようやく物件を決めた後は、さすがに契約の締結はオフィスの方でサポートしてもらえたが、この洗礼はなかなか強烈だった。
まだまだ続く…
住居が決まったら次は、そう、ライフラインの申込みだ。電気、水道、ガス、電話。更に、銀行口座の開設にクレジットカード、Social Security Numberの取得に現地の運転免許の取得、と生活を立ち上げるための手続きをしないといけない。これが全て英語、まさに英語の実践だ。
大変だけど、生活するためには自分で何とかしないといけない。考えるより先に行動していかないと追いつかない。もちろん分からないところは教えてもらえるが、頼ってばかりいる訳にもいかないので、とにかく必要なことを一つずつやっていくしかない。
手続きをしていく中で一番苦手だったのが電話だ。ただでさえよく分からないので、電話でやりとりするとなると、とたんにしどろもどろになる。事前に聞きたいことを書き出して準備して電話に挑むという感じでこなしていた。
英語を話す時の恥ずかしさを捨てる
そんな状態だから、文法これで合ってたっけ、とか、ちゃんとした英語を話さないと、とかいっていると全然やっていけない。とにかく結果に結びつけることに注力して、自分の持っているもの全てで何とか伝えようとするようになる。単語を並べて、身振り手振り、表情変えて、英語の正しさなんて構っている暇がない。
でも思いは伝わるもので、片言だろうが、単語の羅列だろうが、身振り手振りだろうがコミュニケーションはとれるのである。英語を習うのに一番必要なのがここにあるのだと思う。ちゃんと言わないと恥ずかしいとか、この英語を話す時に感じる恥ずかしさを克服するのが英語でコミュニケーションをとるための第一歩だ。
かなりスパルタな感じで鍛えられたが、このときの経験がコミュニケーションをとるときの考え方の原点だ。今ではいい思い出であるとともにとても感謝している。
そうしてようやくアメリカでの生活が始まった。