最近本やニュース記事を読んでいると「メタ認知」という言葉によく出会う。流行っているというよりは自分の関心が高まっているので、自分の中の情報が繋がってフィルタリングされているということだろう
メタ認知って何?
メタ認知は、自分が「本当に理解してること」と「理解していると錯覚していること」を区別することができる能力とか、自らの思考を客観的に見つめる「もう一つの視点」を持つこと、「認知していることを認知すること」など、似たような概念で記載されている
いざ定義を調べてみようと思うと根拠を辿るのはなかなか大変だ。1976年にアメリカの心理学者J H Fravellによって用いられたのは初めてということだ
Metacognition refers to one’s knowledge concerning one’s own cognitive processes or anything related to them, e.g., the learning-relevant properties of information or data.
「メタ認知とは、自身の認知の過程または、情報やデータなど、その習得関連事物に関する自身の知識をさす。」
要するにある物事に関する自分の理解度を認識する(把握する)ことだ
じゃあ自分の理解度はどうやったら分かるだろう?
理解していること と 理解していると勘違いしていること
自分の理解度を80%理解しているとか20%しか理解できていないとか定量的に把握することは難しいだろう。感覚的に言うことはできても実態は分からない
でも理解していると思っていたことが、実はちゃんと理解できていなかったということはよく経験する。典型的なのが、その事象について誰かの質問に答えるときだ。理解していたつもりだったのに、いざ人に説明しようとすると言葉が出てこなかったり、うまく話せないということがある
まさにこれが理解していると勘違いしていることというわけだ
自分がちゃんと理解していることであれば、人にもちゃんと説明できる。裏を返せば、人にちゃんと説明できればちゃんと理解しているということだ
そうであれば、自分の理解度を把握するには人に話してみるといい。人に話してみれば、うまく説明できないところが、理解したつもりになっていたところとして浮かび上がってくる
こうして理解したたつもりになっていたところが分かれば、そのポイントを学習して人に話せるようになれば、理解していると勘違いしていたところが今度こそちゃんと理解したことになるわけだ。自分が何を知らないかを理解するというのは大切なことだ
このプロセスで理解を深めることができる人がメタ認知の能力が高い人だ。メタ認知の能力が高い人は自らの思考を客観的に見つめる「もう一つの視点」を持っていて、自分自身を冷静に見ることができるので、目標の達成や問題の解決に優れ、困難を自分で切り開いていくことができる
じゃあメタ認知の能力はどうやって高めればいいのだろう?
生きていく上で必要な力
人生で困難な状況に直面したときに、それを乗り越えていく必要がある。どうやって乗り越えるのかは人それぞれだが、ただ単に時間による解決を待つのではなく、状況を客観的に認識してどうすれば解決できるのかを積極的に考えて前に進んでいける方がいい。そのためにメタ認知が有効に働く
メタ認知の能力を鍛えることが重要ということだ。どうやってメタ認知を鍛えるのかという実践としては、まず言葉にすることだ
- 自分が学んだことや読んだ本の内容を人に話してみる
話をする適当な人がいなければ、ノートに書き出して言葉にしてみる
- 感情的になって感情が表に出てきたときに、その感情を客観視してみる
日記などで客観視した感情を言葉に表してみる
言葉にしてみて、うまく説明できてないところが理解したと勘違いしているところなので、もう一度学習したり、本を読み返してみることで理解を深める。また、感情は言葉にして、なぜ、自分がその感情を抱いたのか要因を考えてみることで自分自身を冷静にみることができるようになる
自分のメタ認知力を高めるには自己を客観視するプロセスが有効だが、子どものメタ認知力を高めるということではユダヤ式教育のハブルータ学習法も有効なツールだ
知識として蓄積するだけでなく、知恵として知識を使い、自分で考える力を育てるということで対話式の学習方法は、親と子という話をするパートナーがいるということでは自分の理解度を認識するのに最適だ。子育ては親子双方のメタ認知力を高めるうってつけの機会かもしれない
日常生活では情報をインプットするだけで、理解したつもりになっていることがいかに多いことか、と改めて気付かされる
冷静に自分を客観視して理解を深めていこう
ひとこと
理解を深めること、ちゃんと理解するためにもコミュニケーションは大切だ
いつもコミュニケーションを取る誰かがいること、それが幸せだ