祖父

1994年は人生の中で一つの転機になった年だ。その年の出来事のひとつとして記憶されているのが、祖父との別れだ

祖父の死

祖父の訃報を聞いたのは1994年7月29日だった。突然のことだった。私にとっては。そんな状況ならなぜ早く知らせておいてくれなかったのか。両親に強く言い寄ったこともあった。両親としては仕事の支障になるかもしれないから、敢えて知らせなかったということだが、私にしてみれば何が大事なんだ、という思いがあった。仕事の調整なんていくらでもできるのにと。でもそれはこちらの事情で、もちろん今思い返せば私の方からの働きかけもせずになんて勝手な言い草だったろうと思う。ちょうど初めての海外出張を目前にしていて、両親にしてみれば、私の仕事のことを最優先に考えてくれて悩んだ末でのことだったとよく分かる。出張スケジュールは出発を一日延ばす調整をして通夜と葬儀には参列することができた。

連絡を受け取ってから夜が明けるのを待って、友達の部屋のドアをたたいた。車を貸してくれるように頼み、あとは実家まで走り続けた。家に着き、座敷に横たわる祖父を見たとき、手に触ったとき、心は固まっていたような気がする。涙を流すこともなく初めての身近な人の死に接して感情が固まってしまったかのようだった

祖父の思い出

祖父のことで思い出すのは、一緒に家の裏で作業をしていたときに祖父がふとつぶやいた一言だ。「こうやって一緒に仕事したことを、あとで思い出すから。」そんなようなことを言ったのを不思議と忘れずに記憶している。家の裏で水の流れをよくするための溝を固める作業をやっていたときだったと記憶している

小さいときはよく電車を見に連れて行ってくれた。小学校や中学校で一等賞を取って賞状をもらってくるとみんな額に入れて飾ってくれた。一日の仕事が終ると井戸端で体を拭いている祖父、曲がったことが嫌いで筋を通す頑固な祖父、お祭りで踊りを披露する祖父、いろんな思い出の一コマ

祖父はお風呂が嫌いだった。嫌いだったのかどうかは本当はどうか分からない。でもお風呂には入らなかった。その代わり、いつも井戸端できれいに体を拭いていた。そんな祖父について母が言ったことがある。祖父がお風呂に入らないから汚いって思っちゃいけないよ、毎日ちゃんときれいに体を拭いているんだからね、と。そんなことをいわれなくても、そんなふうに思ったこともなかったから気にもしなかったけど、妙にそんなことを覚えている

祖父からのメッセージ

祖父が死んだ時、特別な“思い”というものを感じた記憶がない。それが、17年経って、不意に祖父を近くに感じる出来事があった。

両親が部屋の押入れを片付けているときに祖父の書き残した遺書を見つけた。半紙に三枚ほどの遺書というよりは手紙だった。それを読んだとき、不意に感情が揺さぶられて目頭が熱くなり、祖父を身近に感じた。そして不意にうれしくなった

祖父の考えが伝わってきたからだ。小さいときの思い出はあっても記憶の中のおじいちゃんとして収まっていて、考え方を理解するようなことはできなかったのだが、大人になって祖父が書き残したものを読んだとき、記憶の中の言動と繋がって、一人の人間として身近に迫ってきた

わずかな情報だけど伝わるものが確かにある。逆に限られた情報だからこそ価値ある大切なものとして伝わるのかもしれない

今は溢れるほどの情報に囲まれている。受け継いだことと伝えたいこと。ひとつの家族の小さな命のバトンだけど、しっかり繋げていけるといいな

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