使い道のない写真

データ管理の見直し

Googleフォトの無料無制限サービスが終了した

すぐに影響が出るようなことはないが、写真や動画など画像データが溢れる今の時代にデータの管理について見直してみるいい機会かもしれない

無料無制限だとコストもかからないし、容量制限もないので整理しようというモチベーションが湧かない。とりあえずクラウドに上げておこうということで終わってしまう

制限ができたことで本当に必要なものを改めて認識するいい機会だ

写真の整理

大学の時にサークル活動で写真を撮っていた。当時はアナログで撮った写真は自分で現像してプリントしていた。今となってはなんとも懐かしい青春の一コマだが、なくなってしまっているからなおさら愛おしく感じてしまう

写真を趣味にしていた頃は夜景や花火の写真を撮るのが好きでよく夜景スポットや花火大会に出かけていた。あとは友人や家族の写真をよく撮っていた。この人といえば、この表情っていう一枚を残したいなと思って当時は写真を撮っていた。だんだんとデジタルに変っていく中で趣味としての写真から離れていってしまったが、今思えばアナログのフィルムに焼き付けてから現像してプリントするというプロセスを楽しんでいたのかもしれない

趣味で写真を撮ることはなくなったが、それでも旅に出ればデジタルカメラで記念写真や現地の写真を撮るし、何かのイベントの時にはみんなの写真を撮ることはよくあったのでデジタル写真の量も膨大だ。はじめの頃はパソコンに保存して、CD-ROMやDVDで保存するようになり、容量が大きくなってきたら外付けのHDDを用意して、行き着いたのがGoogleフォトだった。クラウドへの保存ということで最初は躊躇いもあったが、利用してみれば便利で、無料無制限は重宝していた

制約がもたらすモチベーション

データを置いておくという目的としては確かに重宝していたのだが、御多分に​洩れずとりあえずアップしておいただけということも多かった。アナログの時はプリントアウトしてアルバムに整理するというプロセスがあったので、その際に取捨選択して整理する機会があった。それがデジタルになると怠慢になってしまう。取捨選択をするということは必要な写真を決めるということで、この決めるという行為はエネルギーを使う。だから当時は趣味としてその行為自体を楽しんでいたということだ。今はデジタルですぐにコピーを共有できてしまうので、便利にはなったが、写真一枚一枚への拘りも希薄になってしまった

決めるという行為はエネルギーを使うので、人は決めなくてもいいもの、後回しにできるものなら避けるように考えてしまう。何も制約がないというのは自由ということなのだが、自由を使いこなすのは難しい。だから一定の枠を作って当て嵌めるというのは自分を律するためのツールとして意識して役立てるのがいい

今回Googleフォトの無料無制限サービスが終了したことで容量という枠がひとつできた。アナログの時のようにほしい写真だけを残して整理していく営みをするのにいい機会だ

旅の写真

最近旅先で取った風景写真やランドマークの写真をみて思うことがある。同じような写真はネット上に溢れているし、自分よりも綺麗に撮られている写真もいっぱいある。なのになぜわざわざ自分でも写真を撮るのだろう?

確かにその時、その瞬間の記録という意味では特別な意味を込めてしまうのだが、旅先の場所の記録というということであれば何も改めて自分で撮る必要はない。手に入れることができる写真の中から自分のイメージに合うものを選べばいい

旅先ではその時の情景と自分の感情を経験として自分の記憶に留めておくことに集中したほうがいい。写真を撮ることに意識を向けてしまうと、せっかくの経験が薄れてしまうことがあるからだ

昔、アラスカのフェアバンクスにオーロラを見に行ったことがある。まだアナログカメラの時代だ。狙って見えるものではないので、綺麗なオーロラに出会えるかどうかはその時の運によるのだが、たまたまホテルの外に出て空を見上げていた時に綺麗な赤みを帯びた光のカーテンが現れて感動した記憶が鮮明に残っている

期待していなかった早い時間帯に遭遇した突然の出来事で、こんな時に限ってカメラを部屋に置いてきてしまっていた。オーロラが出た瞬間に部屋にカメラを取りに戻ろうか、このままオーロラを見ていようか、と選択を迫られたのだが、そのままオーロラの感動を味わうことを選んだ。その選択は今なお当時を思い出す度に感動が蘇ることを思えば正しい選択だったと思う。もしカメラを取りに戻って写真に残すことを選んでいたら、感動は半減していたかもしれない。ちゃんと綺麗に写っているのか気になって、意識がカメラの方に向かざるを得なかったと思うからだ

それでもなお、自分だけの一枚というのは心のどこかに引っかかっている。ほかの人とは違う何かを切り取りたくて写真を撮ってしまう。みんなそう思っているのか、写真を一時期趣味としていた名残として持っているものなのか定かではないのだが、不思議な心理だ

写真の使い道

写真について考えていると、これも写真を撮る目的がハッキリしているかどうかでアクションが異なることに気付いた

アナログの時は撮った写真を友人や仲間に見せて焼き増しをするためにアルバムを作っていた。みんなのためにという目的があった。そしてそのために写真の取捨選択をして写真を整理していた

今なら記念写真を撮ってSNSに投稿するという目的があればちゃんと撮った写真を管理するようになる。ネット上にある写真を利用することは著作権を考慮する必要があるので、情報を発信するために自分で写真を撮るということは明確な目的だ

目的もなく撮りためた写真はいつか何かのために使う機会があるかもしれない。でも整理をしていないと多くはそのまま使い道のない風景として忘れ去られてしまう

食事の写真

食事の写真も溢れている。多くの人はSNSへ投稿するために撮っているのだろう。食事の写真については私の場合は食事記録だ。ブログで紹介するのに使うこともあるが、撮った写真のほとんどは何を食べたかを振り返るために記録することを目的にしている

人間ドックで毎度引っかかるマーカーの原因が当初から不明で食事との因果関係があるかもしれないということで撮り始めたのがきっかけだ。数年記録を続けているが、特に食べたものとの直接の因果関係は分からないままだ。それでも食事の写真は健康管理としてカロリー計算することにも役立っている

オススメな写真の整理

コラージュによる振返り

写真の整理方法としていいのはやはりアルバムとして残しておくことだ。例えば一ヶ月単位でお気に入りの写真をピックアップしてコラージュでまとめておく。一年を12個のコラージュで整理すればスッキリする。合わせて一年分の写真でひとつのコラージュを作成しておくのもいい。自分のデジタルアルバムをカスタマイズするのもいいが、サマリとして残すのならコラージュが手軽で便利だ

定期的なアニメーション作成による写真選択のトリガ作り

スライドショーの上映を意識したアニメーションを定期的に作るのも写真の整理には有効だ。少なくとも写りの悪い写真や表情のよくない写真は省くことになるので写真の選択ができる。大切なのは選択する作業をするきっかけだ。そして使わなかった写真は削除する

アプリ利用による記録

SNSでシェアしたい写真を撮る。例えばFacebookやInstagramで友人とシェアしたい写真や発信したい写真を撮ることで、こちらも使わなかった写真は削除すればいい。

また、食事記録のようにアプリに写真を登録しておくのもいい。こういった使い方で必要なものだけ撮影して整理していくのがいいようだ

大切なものとしての写真

ただ溜め込んでおくだけの写真には価値がない。整理ができていないと大切な写真とどうでもいい写真が混在して本当に大切な写真が埋もれてしまう

不要なものを捨てて整理することは本当に大切なものを再認識することでもある

大切な写真だけ。それなら十分なスペースかもしれない

 

ひとこと

目的意識を持つことが大事だということは、何かにつけいわれてきたことだ

家計簿も 貯金も 投資も 人生も

写真にまで目的意識が必要だったなんて!

考えてみれば当然のことかもしれない。目的のない行動はその行為を空しいものにしてしまうのだから

使い道がないのにただ残される写真は、写真にとってもかわいそうだ

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